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山城知佳さんの「ゆめ」

夢だった生殖細胞の研究者に。人の支えがあれば、きっと道は開ける。

山城知佳
山城知佳

第7期奨学生(2015年~2018年)
京都大学 医学研究科 博士課程 認定退学
京都大学大学院 医学研究科 生体構造医学講座 機能微細形態学 技術補佐員
(2018年11月時点)

Q. 子供の頃の夢は何ですか?

小さい頃は医学系の職業に興味があり、産婦人科の医師や「哺乳類発生」の研究者を志望していました。

高校に進学する頃には研究者しか考えていませんでした。

私が通っていた高専では卒業生の過半数は就職を選ぶのですが、私は始めから博士課程まで進学し、研究者になろうと思っていました。

通常、高専では5年生(大学2年生相当)にゼミに入って研究を行うのですが、私は研究者を志していたので高専3年生の頃から前倒しして研究室に所属し、実験等に携わらせてもらっていました。

Q. この大学(学部)を志望した理由は何ですか?

精子や卵子といった「生殖細胞」の研究に興味があり、その環境が京都大学にあったからです。

動物の体はたくさんの細胞で構成されています。その多くの細胞はその個体で途絶えるのですが、生殖細胞だけは新たに子供を生じさせ生命の連続性を保証するもので、生命の本質と考えていました。

高専4年生(大学1年生相当)の夏休みに、マウスの生殖細胞の発生を研究されていた理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターにて、実験の手ほどきを受けました。

恵まれた研究環境と、優秀かつ熱意あふれる研究者の方々の存在を知り、「将来絶対ここで研究するんだ!」と決心しました。

その後、その研究室が京都大学へと移りましたので、京都大学大学院を志望するに至りました。

Q. その夢を諦めかけたことはありますか?

金銭的に諦めかけたことは何度もありました。
両親には反対される中「自分で資金調達する!」と言って大学院に強行進学しました。

当初、貸与奨学金とアルバイトで学生生活を続けていくつもりでしたが、残念ながら奨学金の貸与許可が下りず、アルバイトですべての生活費を賄わなければならなくなりました。

短時間のアルバイトだけでは賄いきれず、午前4時まで働き、翌朝9時には研究室に行くという生活で、頭も回らなくなり研究もうまくいかなくなっていたため、限界を感じずにはいられませんでした。

服部奨学金との出会い

服部奨学金との出会いは、大学院の学生課奨学掛からの紹介でした。

博士課程1年時に、当時受給していた月数万円の奨学金の期間が1年だったため、翌年度以降の奨学金を探していたときです。

服部国際奨学財団の募集要項を拝見した時、2年間にわたり月額10万円という手厚いご支援に、強い衝撃を受けたことを今でもよく覚えています。

他の給付型奨学金というのは、多くて月5万円程度、給付期間1年限りのところがほとんどでした。

絶対にこの機会を逃してなるものかと思で応募し、実際に奨学生としての採用が決まった時には達成感すらありました。

Q. 実際に服部奨学金を給付されてどんな感想をもっていましたか?

服部奨学生として正式に採用されとにかくホッとしました。

月額10万円の支援はとても大きいです。

実は、服部奨学金応募前に奨学掛から「結構イベントの多い財団だけどちゃんと参加できる?」と確認されたことがありました。

当時は、少し面倒だけど月額10万円の給付型奨学金ということで、背に腹は代えられない、と考えていました。

実際のところ多くのイベントは、面倒どころか楽しいし勉強になります。

服部財団は、奨学生同士や奨学生と財団関係者との距離が近く、アットホームな雰囲気が溢れています。
これこそ服部財団の大きな特徴ではないかと思います。

山城知佳イメージ

さまざまな事情におり夢をあきらめかけている高校生に向けて

何事においても「諦めたい人は諦めたら良い」と私は思っています。その人が諦めることで、本当に諦められなかった人がその代わりを埋めるに過ぎないからです。

金銭的困難や自分の能力の限界、親からの圧力など、諦めざるを得ないと思ってしまう機会もあるかと思いますが、世の中には想像以上にみなさんをサポートしてくれる人います。私の場合、経済的問題を抱えていましたが、諦めずに済むことができました。

あなたが本気で諦めたくなければ、自分の夢を他の人が叶えることを悔しいと感じるならば、自分の力を過信せず、他の人の力を積極的に借りに行ってみてください。